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ユーラシア研究センター

奈良県立大学ユーラシア研究フォーラム「近世の奈良から これからの日本をみる。」を開催しました。


奈良県立大学ユーラシア研究フォーラム「近世の奈良からこれからの日本をみる。」を開催しました。

開会挨拶(伊藤学長)

ユーラシア研究センターでは、平成29年2月5日と2月19日の2回にわたり、「近世(江戸期を中心)の奈良」にスポットを当てたフォーラム「近世の奈良から これからの日本をみる。」を開催しました。
このフォーラムでは、伊藤忠通学長の挨拶の後、基調報告とディスカッションにより、当時の奈良の文化的環境や江戸・大坂など都市との関わり、その今日的意義を紹介しました。

会場内の風景

各日とも約130名の方々にご参加いただきましたが、みなさん、最後まで、興味深げに聴講しておられました。ご参加いただきました皆様ありがとうございました。

第1回 近世奈良の風情-幕末の宮廷と奈良-平成29年2月5日(日曜日)

基調講演 岡本彰夫氏

基調講演では、岡本彰夫氏から、あまり知られていない近世の奈良の姿について、当時の奈良の社寺のありよう、京(宮廷)と奈良の社寺との関わりを中心に、ユーモアを交えたお話がありました。特に「勅命祈祷」という聞き慣れない御祈祷の例を引いてのお話は、宮廷と奈良の社寺との関わりの深さが感じられました。

基調講演/岡本彰夫氏

ディスカッション

次に行われたディスカッションでは、岡本彰夫氏に加え、喜多誠一郎氏、橋本紀美氏、風呂井玲子氏を交え、それぞれの専門的な立場からのお話をいただきました。

ディスカッション風景
右:岡本彰夫氏
左:風呂井玲子氏

ディスカッション風景
左:橋本紀美氏
右:喜多誠一郎氏

喜多誠一郎氏

喜多誠一郎氏からは、「女夫饅頭」、「子福利餅」など近世の和菓子を復興させた経験から、当時、それらが作られていた背景と現代では作られなくなってしまった理由、また、和菓子職人として菓子作りにかける思い「材料を壊さない・汚(けが)さない」、ひいては、そこに大和の真髄があるのではないかというお話がありました。

橋本紀美氏

橋本紀美氏からは、安堵町周辺に広がっていた、今村文吾を中心とした文化的な空間と、その成立背景に今村の人的ネットワークが中宮寺を核に繋がっていたということ、当時の安堵町が大坂からの情報が迅速に伝わる地域であったこと、また、今村文吾が晩翠堂に招いた伴林光平の人となりや伴林が後世に伝えたものについてもお話がありました。

風呂井玲子氏

風呂井玲子氏からは、伝統工芸の現状が厳しいこと、その中で、現代のライフスタイルに合わせてさまざまな工夫をされていること、近世奈良においても同じように、既存のものには飽き足らず、改良を重ねて、より良きものを生み出そうとするエネルギーがあふれていたこと、また、現在の取り組みとして、伝統技法を後世に伝えるため、職人の筋電図や眼球運動の解析の導入など、科学的アプローチをしているというお話がありました。

岡本彰夫氏

岡本彰夫氏からは、それぞれのパネラーの話に付随したお話をしていただきました。
まず、伝統的な和菓子を復興させたことの意味として、「奈良に美味いものなし」とよく言われるが決してそうではないことを知って欲しい、また遠くからお越しいただいた方たちへのおもてなしとして歴史ある伝統的和菓子をさしあげたいという思いであること。
また、安堵町の晩翠堂を中心とした文化サロンをはじめとして、一般的には知られていないが、奈良県中に、和歌を詠む人、絵を描く人などがいたし、そういう雅な世界が広がっていたということ。
大和の伝統工芸品にも、日本人が如何に自然のものが清らかであると考え、それを生活の中に取り込んでいたことや、神仏にもお供えするについても清らかなことを最上のものとしたかということが、有り体に残っているということ。
最後に、橋本氏の話にもでた伴林光平が関わった天誅組について、大和で挙兵した理由、春日大社と深い関わりがあったこと、天誅組の乱の持っている意味を考え直すべき時期にきているのではないかというお話がありました。

第2回 江戸文化と奈良-都鄙の交流-平成29年2月19日(日曜日)

基調講演/田中優子氏

基調講演では、田中優子氏から、井原西鶴の『日本永代蔵』(1688)、『世間胸算用』(1692)を使って、当時の奈良の様子と抱えていた問題や、近世の日本での産業の推移に見られるように、グローバル化への対応は、ローカルな努力が必要であるということ、当時の奈良の課題が、今の日本のグローバル化の抱える問題の縮図であることをお話しいただきました。

基調講演/田中優子氏

ディスカッション

次のディスカッションでは、田中優子氏に加え、辻村泰善師、野高宏之氏を交えて行われました。

ディスカッション
右:田中優子氏
左:野高宏之氏

辻村泰善師

辻村泰善師

辻村泰善師からは、日本で一番古い歴史を持つ元興寺が、長い時代の中で、その時代にあわせて、仏教を広めるいくつものグループ(一門)があり、その中で「智光曼荼羅」を信仰するグループが今日の元興寺につながっていること、また近世においては、一面で、「元興神(がごぜ)」と呼ばれる妖怪の名称として、寺の名が全国に広まっていたことなどをお話しいただきました。

野高宏之氏

野高宏之氏からは、商人の町として知られている大坂が、江戸幕府によって作られたシステムであったこと、そのシステムが江戸期前半には商品と信用をセットにするというものだったが、後半には金融が加わり、金融と物流を組み合わせるシステムが出来上がったこと、奈良は進んだ農業経営の感覚を生かして、大坂のシステムを支えていたのではないかというお話をいただきました。

田中優子氏

田中優子氏からは、幕府成立によって形成された江戸の町は、流動的な武士人口が半分を占め、秩序とセキュリティが重要視されていた。
江戸では、あらゆるものの国産のために、全国の情報が集められ、いろんな才能・技術を持つ者が連などを作り、ディスカッションすることで新しい技術が生まれていた。
それに対し、量より質が求められるようになった時代の変化に、裕福さにあぐらを掻いていた奈良はついて行けなかったことが、衰退の原因ではないか。
グローバル化に対応するべく、ローカルからの発信が求められている現代において、自分たちが持っている価値を捉え直して、言葉にして発信することが大事であるというお話をしていただきました。

森野旧薬園パネル展示

また、中島センター長より、近世において、奈良発の知的情報が江戸にもたらされた例として、「森野旧薬園」(宇陀市大宇陀)について、(ア)近世には製薬技術という知的情報が奈良から江戸にもたらされ、これに関わる人材ネットワークが数世代にわたって形成されていたこと、(イ)この(旧)薬園が森野家個人の献身と大宇陀地域の篤志によって今日まで継承されてきたこと、が紹介されました。

ホールの外では、2月5日・2月19日の両日、森野旧薬園及び森野藤助の事跡や、『松山本草』の植物の彩色画のパネルなどを展示し、多くの参加者の皆さんに見ていただきました。

森野旧薬園パネル展示
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