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ユーラシア研究センター

奈良県立大学ユーラシア研究フォーラム2019 「奈良のイメージを解凍する。」-Managing Nara Imagined を開催しました。


はじめに

ユーラシア研究センターでは、平成31年2月3日と2月17日の2回にわたり、「奈良のイメージを解凍する」と題して、奈良県立大学においてフォーラムを開催しました。

今回のフォーラムは、「柿食へば/鹿/大仏さま/大鳥居」など(県)外からのイメージにより固められた奈良の固定的なイメージを解きほぐし、本来「多様な奈良(NARAS)」のアイデンティティーを立ち上がらせる第一歩にすることを趣旨として開催したものです。

伊藤学長から主催者挨拶、続いてユーラシア研究センター特任准教授の中島敬介から趣旨説明を行った後、講演、スピーチ、ディスカッションなどを行いました。

伊藤学長

中島特任准教授

各回とも定数(150名)を超える応募をいただき、当日も多数参加いただきました。そして、長時間にも関わらず最後まで熱心に聴講いただきました。参加いただきました方々に、この場をお借りしまして御礼申しあげます。

フォーラム当日の様子

第1回「ウタう・奈良」-Nara in Poem/平成31年2月3日(日曜日)

講演

お一人目は奈良県立万葉文化館指導研究員の井上さやか氏です。
井上氏からは「万葉集がうたう古代の奈良」と題して、古代の人々がどういうイメージで万葉集の中で奈良を「うたった」のかについて講演いただきました。その中で、
「万葉集ができる以前にも歌集が存在していたと考えられるが、遺っていないことから、万葉集は現存する日本最古の和歌集であるとされること。」
「中国の文字や漢詩の文化など、藤原京の時代には既に外国の文化が入ってきていたことにより、自国文化のオリジナリティを自覚することをしていたこと。すなわち、既にあった他国の文化、文字を借りて、全く言語体系の違う大和言葉を書きあらわすというアクロバティックなことを古代の人がやろうとしていたこと。」
「そうしたことを背景に、万葉集は当初から国際的な意識のもと、編もうとしていたのではないかと考えられていること。」など、万葉集の歌の紹介を交えながら報告いただきました。

井上さやか氏

次に、歌人で歌誌「ヤママユ」選者の櫟原聰氏から『前登志夫がうたう近現代の奈良』をテーマに講演いただきました。
前登志夫は、1926年に現在の吉野郡下市町に生まれ、2018年に逝去するまで吉野を中心に活動した歌人です。
櫟原氏からは講演の中で前登志夫の歌を多数ご紹介しながら、
「前登志夫は非常に強い文明批評を持っており、やがて吉野というトポス(注:場所を意味するギリシャ語)を強く意識するようになること。」
「我々がどちらかというと弥生人的な生活をしているのに対し、前登志夫は相当縄文的であり、古事記にでてくる「生尾人(せいびじん)=尾のある人」に象徴されるような、もっと生命の根本的なところに回帰しようとしていたこと。」
「前登志夫の歌というのは、非常に古代的であると同時に非常に現代的であること。それは、我々が今生きている世界が何万年かの世界を踏まえており、そこに回帰し、その根拠を探りながら現代を生きている点が近代性であると言えること。」など、報告いただきました。

櫟原聰氏

スピーチ

植村秀忠氏

お一人目は、京都産業大学法学部教授の植村和秀氏です。
植村氏からは「折口信夫の飛鳥」と題して、折口信夫(おりくち・しのぶ)という人が奈良、特に飛鳥について何を考えたのかについて、報告いただきました。
歌人であり国学者である折口にとって、祖父の出身地である飛鳥は私のふるさとという思いが非常に強く、
「飛鳥は折口にとっての心のふるさとであり、何とかして古代の人と心を通わせたいというふうに考えていたこと。」
「また、飛鳥は折口自身にとっての文学と学問の心の支えであると同時に、日本の国学あるいは日本の文学と学問にとって、大変重要な場所であり、そこに我々は心の支えを求められるのではないかと考えていたと推測されること。」
「しかしながら、飛鳥に対するそういった思いが片思いであると、折口自身も理解していること。」など、折口の残した歌の紹介を交えながら報告いただきました。

福家崇洋氏

お二人目は京都大学人文科学研究所准教授の福家崇洋氏です。
福家氏からは「奈良のモダニズム」をタイトルに、20世紀の奈良でのモダニズム=近代主義、について紹介いただきました。遊覧鉄道の敷設、生駒歌劇、奈良での映画製作、あやめ池遊園地並びに温泉場の開設、大阪の松竹歌劇団(OSK)による歌劇などを紹介いただいたうえで、近代の多様な奈良(NARAS)について、
「奈良には一貫して、寧楽(ねいらく/なら)を提供する素地があったのではないかと考えている」
「非日常的な空間というものを演出することによって、奈良に住む、あるいは奈良を訪れた人々に楽しさとか安らぎをもたらすということが考えられてきたのではないか」などの提言をいただきました。

ディスカッション

最後に、登壇者によるディスカッションが行われ、各々が報告された内容についての意見交換がなされました。

その中で、ウタ(うた/歌)うことが、言葉とか感覚というものを通じて、現在と過去、モダンと伝統というものをうまくつなぐことができ、あるいは社会とのかかわりを込められているものである。そして、それゆえ、言葉というものは社会を変えていくきっかけになっていくのではないか、といった発言がありました。

2月3日 ディスカッションの様子

第2回「カタる・奈良」-Nara in Narrative/平成31年2月17日(日曜日)

ディスカッション

「ほんとうの東大寺」と題しまして、東大寺長老の森本公誠様に登壇いただき、中島特任准教授とのインタビュー形式で報告をいただきました。その中で、森本長老から
「東大寺の発祥は、聖武天皇の皇太子である基(もとい)親王の菩提を弔うために建てられた山房にあるとされており、その後、国民の幸せを祈願するための場としての浄土空間を地上に再現するためにつくった場所(寺領)が、現在の東大寺に発展していったということ。」
「盧遮那仏(大仏さま)は、国分寺等とは違い、生けとし生けるものにあまねく幸せを光のように降り注ごう、というコンセプトでつくられたということ。」
「聖武天皇は、実は非常にすぐれた政治思想的感覚の持ち主であり、より弱い立場の他者に寄り添うという仏教思想の根幹に政治思想を求め、その実現を地上で実現するような治世を目指していたということ。」を趣旨とする内容など、限られた時間の中で貴重なご報告を賜りました。

森本長老インタビュー

スピーチ

桐原健真氏

最初に、金城学院大学文学部教授の桐原健真氏から、「古都・旧都・廃都」をテーマに発表いただきました。その中で、
「奈良は、法律上は「古都」であること。京都が「古都」デビューしたのは、100年くらい前のつい最近の話であり、それまでは、奈良は「古都」であり、京都は「西京」であったこと。」
「明治時代末期に発行された、ある大学機関紙の旅行記が掲載されており、そこでは、京都が「旧都」で、奈良は「古都」と記されていること。しかし、大正天皇の即位大典を契機にその後京都は「古都」とされたこと。」
「和辻哲郎などは、現実空間から遊離した美術品が集まる奈良は空間全体が時間の止まった博物館になってしまい、そこに生きた人間が介在していないから「廃都」というふうに言うが、そのことには強く異議を唱えたいこと。そして、生きる宗教空間として古都奈良の語りを復活すべきであるということ。」
などの報告をいただきました。

大川真氏

二番目は、中央大学文学部准教授の大川真氏から、「近代の文人が愛した古都」と題して、堀辰雄と奈良について発表いただきました。その中で「堀は、『自然を超えようとして、その自然に人間が作用されて、第二の自然というものが発生』し、『廃墟が私たちを魅了するのは、人工物が自然物のように感じられるからである』として、奈良に廃墟(廃都)を見出し、評価していること。」
「廃墟の美を奈良に見出し、奈良を愛した堀は、しかしながら、「奈良がこんなに好きなら、住めばいいんじゃないかと思うんだけども、住むとだめだ。やっぱり旅人として、いつも向き合いたい」という、「遠隔の感じ(パトス・デル・ディスタンツ)」を有していること。」などの報告をいただきました。

西田彰一氏

三番目は、日本学術振興会特別研究員(PD)の西田彰一氏から、「奈良の志賀直哉」と題して発表いただきました。その中で、「生涯を通じて数多く引越をした志賀が奈良を去るに当たって、『奈良に住む前というのは、奈良というところは、正直つまらないところなんじゃないかなと思っていたけれども、今となっては、自然が美しく、残っている建築も美しい。さらにその二つが相互に溶け合って、調和している。そういった都市として非常にすぐれている点があって、去るには惜しいところ』だと述べていること。そして、奈良を去った後も、たびたび奈良を訪れていること。」
「志賀が奈良に住んでいる間、文芸人との交流の場として形成していた高畑サロンが、志賀が去ったあと、東大寺の塔頭である観音院の上司海雲に引き継がれ、「観音院サロン」として継承されていったこと。」などの報告をいただきました。

ディスカッション

その後、京都産業大学法学部教授の植村和秀氏を交えて、先の3名と中島特任准教授の5名によるディスカッションを行い、発表についての振り返りや活発な意見交換が行われました。

また、その中で中島特任准教授から、明治時代に奈良で活動した米国聖公会伝道師のアイザック・ドーマン、並びにその息子の、外交官であり「ポツダム宣言」の草案作成にかかわった知日派(親日派)のユージーン・ホフマン・ドーマンについて報告いたしました。

2月17日 ディスカッションの様子

植村和秀氏

中島特任准教授

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